人生まあるく

どうでもいいことやどうでもよくないことぽろぽろ

パンとスープとネコ日和

いま、少しだけ毎日がたのしい。

仕事はうまくいったり落ち込んだり
日々そのくり返しだけれど
やっぱり職場の女の子たちは大好きだし
自分の居場所感はしっかりする。

チョコレートやゴーヤやさくらんぼや
子ども服のお下がりをもらったり
昨日食べたものや行った場所とか
どうでもいい話で笑いあったり
そんな仲間ができるもんなんだなあ、と
いちいち感動したりする。

おうちに帰ってきて
保育園にお迎えに行って
晩ごはんを作る時間もわりと好きだ。

子どもにおやつをだして
アニメを観ているのを眺めながら
一日のことをぼーっと思い出しつつ
もくもくとお料理。
今日は山盛りのから揚げと
大根と紫玉葱のミネストローネを作った。

すごく疲れているけれど
その疲れのテンションで
ばばばばーっとごはんを作って
できあがったものを見ると
ああ今日も一日がんばったなあ、って
達成感で満足できる。

朝の好きな時間は
お弁当と朝ごはんを作ったあと
自分と娘たちの水筒を3つ用意するところ。
アイスティーと麦茶をいれて
並んだ3つの水筒を見ると
さあみんなそれぞれの一日が始まるよ!
今日もがんばろう!
っていう気持ちになる。

もうすぐ長女の誕生日だから
ケーキを予約したり
プレゼントを選んだり
少しずつ準備しているんだけど
その時間もしあわせだし
ネットサーフィンをして
好きな雑貨や本を眺める時間も好きだ。


日々の中のなんでもないこと
それをなにも悩まず考えず
ごく普通に滞りなく行なっていけること、
それがわたしにとっての幸せなんだと思う。

不思議なことに
昔のわたしの幸せは
すべて内側から外に向かっていた。
ある意味不安も心配もなくて満たされていた…
正確には満たそうと努めていた内側が
外側に少しずつあふれでていくかんじ。

反対に、今のわたしにとっての幸せは
全部わたしの外側で起こっていることが
だんだんとわたしの内側に沁み入っていくかんじ。

孤独なこころは完全に消えいることはなく
幸せが完全に浸透することは
多分この先もないんだろうけれど、

本当は、内から内から
幸せな気持ちが滲みでてくるのが
理想なのかもしれないけれど、

外側から沁み入ってくるものを
たとえ客観的にでも受けとめて
これが幸せなんだろうだなあ、と思えることが
きっとわたしにとっての幸せなんだろう。

宿命って言ったら大げさだけど
そういう生き方を受け入れて
自分を満たしてあげることが
わたしにとって最良の生き方なんだと思う。


パンとスープとネコ日和を観ている。
ある場所では必要とされたり、
ある場所ではされなかったり。
それでも好きなことをして
好きなひとたちと
たんたんと穏やかに生きる。

そんな生き方をしていくうち、いつか
しあわせな生き方ができていたなと
思えるようになれていたら万歳だな。